Open2chまとめ

「Open2chまとめ」は、2ちゃんねるまとめサイトです。

【ねずさんのひとりごと】

【ねずさんのひとりごと】花王といえば、最近は在日支配とか反日タレントの広告起用とかで、保守の方の一部には不買運動などが広がっているそうです

元スレ:http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1446422560/

1: 6564億円◆o8vqQW81IE 2015/11/02(月)09:02:40 ID:???
花王といえば、最近は在日支配とか反日タレントの広告起用とかで、保守の方の一部には不買運動などが広がっているそうです。
私は、昔から花王好きで、常に前向きに工夫した商品の開発をする花王の製品は、同じ商品を買うなら花王でと思っていたくらいです。
もし、乗っ取られ、社風が変わってしまっのだとしたなら、それはとても残念なことに思います。

昔から花王が好きだった原因の一つに、花王の創業者、長瀬富郎(ながせとみろう)の伝記があります。
小学校を出ただけで世間に出て働き、若くして支店長にまで大抜擢されるという才覚を見せながら、そのために変に自尊心ができて失敗し、丸裸になってしまう。

その地獄から再び立ち上がり、人の和を築き、みずからも一生懸命勉強して国産高給石鹸という新しいジャンルを開拓する。

自分が儲かれば良いというのではなく、どうしたらより多くの人々に喜んでいただけるのか。
そのことを一途に追求した、血を吐くような努力と精進の人生が、花王の創業者長瀬富郎の創業精神です。
長瀬富郎は、過労のために48歳の若さでこの世を去りました。
けれど、その創業精神は受け継がれ、儲かっている会社を貶めて奪って横取りして経営者だけが利益を掠め取る会社とはまったく対局に位置する自立した企業として花王は、次々と創意工夫を重ねた新製品を世に送り出した会社だったのです。

文久3(1863)年、美濃国恵那郡福岡村(現在の岐阜県中津川市)に生まれました。
12歳で小学校を卒業した富郎は、親戚の塩問屋兼荒物雑貨商「若松屋」に奉公に入りました。
相当努力したのでしょう。
なんと若干17歳で、もう、下呂支店を任されるまでに信頼されています。

若い時にこうして信頼され、支店長まで経験させられると、おかしなもので人間、ある種の自信過剰になってしまうものです。
富郎は、明治18(1885)年、23歳で店を辞めてしまいます。

辞めて何をしたかというと、それまでに貯めたお金150円を元手に、上京して米相場を貼ったのです。
いまなら、だいたい200万円くらいのお金です。
元手を増やして、商売でもやろうと思ったのでしょう。
ところがこれが、大失敗で、富郎は無一文になってしまうのです。

富郎が偉いところは、この失敗を教訓として、以後、とにかく「堅実に生きる」
この一語を終生の誓いにし、それを守り通したことです。

ちなみに人は一般に「自分の成功と、他人の失敗からしか学ばない」のだそうで、だから、たった一度の成功体験に縋ってギャンブルにのめり込んだりするのだそうです。
「明治の気骨」と言うのは、こういう「失敗から学べる」ことを言うのかもしれません。

金を失った富郎は、日本橋馬喰町の和洋小間物商「伊能商店」に就職します。
この頃の日本橋馬喰町は、舶来品の専門問屋街で、マッチ、靴、洋傘、帽子、コーヒーなどが、ひかり輝くような高級輸入品として売られていました。

2015110203

◎全文は下記からどうぞ(・ω・)ノ
ねずさんのひとりごと 11月1日
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2812.html#more

btn_next

【ねずさんのひとりごと】通州事件が起きても、日本は中国との戦争を避け続けた。~通州事件では、日本人の悪口を言っていた朝鮮人がまっさきに殺された。

元スレ:http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1438680378/

1: 6564億円◆o8vqQW81IE 2015/08/04(火)18:26:18 ID:???
------------------------------------------------------------------------------------
【ねずさんのひとりごと】(支那人の残虐性)通州事件の惨劇「Sさんの体験談」
※この記事は18禁です。18歳未満の方と女性の方はお読みにならないでください。[H27/7/30]
http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1438196122/
の続きです(・ω・)ノ
------------------------------------------------------------------------------------

昨日ご紹介した「通州事件(つうしゅうじけん)」は、支那で一夜のうちに日本人居留民二百名余がおよそ人類史上類例のない残虐な方法で殺害されたという、とてもつらい事件です。
しかし日本人に限らず世界中が知っておかなければならない事件です。

ところがこの事件、被害者となって殺害された人の数がはっきりしません。
以下、WIKIから抜粋しますと、次のようになっています。

陸軍大学作成「支那事変初期ニ於ケル北支作戦史要」(1939年刊)
死者 223名
陸軍省の調査では、1937年8月5日現在で発見できた死者184名
在天津日本総領事館北平警察署通州分署の調査記録
(1937年7月29日~8月5日) 死者225名
支那駐屯軍司令官香月清司中将著『支那事変回想録摘記』212名

日本という国は、全国民の戸籍が整っており、いつの時代にあっても被害者の数を正確に把握し記録します。
にも関わらず、この通州事件に関しては被害者の数が二百名以上ということはわかるのですが、具体的に何人となると諸説出てしまっているのです。
なぜでしょうか。

答えは、支那駐屯軍司令官香月清司中将の『支那事変回想録摘記』にあります。
これは昭和15(1940)年2月に刊行されたもので、通州事件の被害状況を次のように記しています。
 *
通州事件に於て犠牲者
 邦人104名(内、冀東政府の職員及其の関係者約80名)、
鮮人 108名
大多数は阿片密貿易者及醜業婦にして在住未登録なりし者。

以上の内34名は惨殺によって性別不明なまでに遺体が損傷していた。
 *

説明するまでもないことですが、邦人というのがいまでいう日本人、
鮮人というのが朝鮮半島人です。

201508051

◎全文は下記からどうぞ(・ω・)ノ
ねずさんのひとりごと 7月30日付け
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2718.html

btn_next

【ねずさんのひとりごと】7月25日は、廊坊事件があった日です。

元スレ:http://awabi.open2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1437793195/

1: 6564億円◆o8vqQW81IE 2015/07/25(土)11:59:55 ID:4NU
78年前の今日、つまり昭和12(1937)年7月25日の深夜に起きたのが「廊坊事件」です。
支那事変のきっかけのひとつになった事件です。
翌26日には「広安門事件」が起こり、29日には「通州事件」が起こりました。
ちなみに、当時、おおがかりな事件だったものが、これらで、その他、一人ないし2~3名の日本人が襲撃され、リンチに遭って重症または死亡に至った事件は当時、無数に起きています。

最近では、「支那事変」のことを「日中戦争」と呼ぶようになりました。
まだ私などが中高生の頃は、「支那事変、日華事変」だったのですが(支那事変が正しい)、最近これを「戦争」と呼ぶようになったのは、中共政府の「日中戦争こそ、日本による支那への侵略の証であり、中共政府軍は侵略者日本と勇敢に戦った抗日の英雄であり、だから人民解放軍と呼ばれている」という大嘘のコンコンチキ歴史認識に依拠します。

日本の教科書は、近隣諸国に配慮するということになっているわけで、だから教科書が、そうしたデタラメ史観に配慮した記述になるし、そのためには中共の(韓国も同じ)言い分を丸呑みしてデタラメな<学説>を唱えるエセ学者の地位が向上するという、まことにもって不可思議な日本近現代史歴史学会になってしまっています。
おかげで、まともな真実の歴史を教えようとする大学教授の先生は、大学を追われたり、授業のコマを大幅に制限されて、年収がコンビニのパートさん以下になっていたりするわけです。

嘘吐き学者になれば、論文など発表しなくても、高収入と社会的地位が保障され、中には運転手付きの車に乗せてもらえて豪邸に住む大物学者になり、本当のことを繰り返し唱えたり論文にまとめれば、極貧生活のままかろうじて大学に残るか、転職するしかなくなった、というのが、特に平成になってから強くなってきた日本の<学会>です。
<学会>と聞くと、多くの方は宗教団体を思い浮かべるでしょうが、大学の<学会>が、まさにある意味で宗教団体になってしまっているわけです。
なんとか、大学教育の正常化を図っていく必要があると思います。


201507272

◎全文は下記からどうぞ(・ω・)ノ
ねずさんのひとりごと 7月25日付け
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2714.html#more

btn_next

【ねずさんのひとりごと】七夕 ~棚機(たなばた)は、古代から伝わる日本独自の禊ぎ(みそぎ)のための神事です。

元スレ:http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1436270746/

1: 6564億円◆o8vqQW81IE 2015/07/07(火)21:05:46 ID:ksu
○七夕といえば、ご存知の通り、織姫と牽牛が一年に一度、天の川を渡って逢うことが許された日です。
これは、梁の時代の殷芸(いんうん)の書いた物語で、概略以下のものです。

 天の河の東に織女有り。天帝の子なり。
 年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。
 天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。
 嫁してのち機織りを廃すれば、
 天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、
 一年一度会うことを許す。

なぜこのような物語が生まれたかというと、旧暦の7月はじめ、これはちょうど、いまでいったら8月半ばのお盆の頃にあたるのですが、この時期、琴座のベガ(織り姫星)と、鷲座のアルタイル(彦星・牽牛星)が、天の川を挟んでよく光る ことから、このような物語になったとされています。

この物語が、奈良時代に日本に伝わり、実はここからがとても面白いのですが、これが日本の古くからある「棚機(たなばた)」と呼ばれる神事と重なることで、いまの「七夕(たなばた)」となりました。

棚機(たなばた)というのは、古代から伝わる日本独自の禊ぎ(みそぎ)のための神事です。
秋の収穫を前に、選ばれた乙女が「棚機女(たなばたつめ)」となって、禊(みそぎ)をして穢れを祓ったあと、水辺に設置された機屋(はたや)にこもり、そこで機織り(はたおり)をします。

乙女が機屋の中にこもって縦糸と横糸で「布」をつくるわけですが、このとき使われる道具が「棚機(たなばた)」です。
できあがった反物(布)や着物(地域によって異なる)を神様に奉納し、そこに神様をお迎えし、村のみんなで秋の豊作を祈るわけです。

布は、もともとは野原に生えている麻などを伐(き)って乾かし、そこから繊維を とって糸にし、その糸を織ったり編んだりして布にしていきます。
日本では、福井県の鳥浜貝塚などから約8000年前の布が出土していますが、要するに縄文時代から布が使われていたわけで、当時は自給自足ですから、布も村の中 で、それこそ草から繊維をとり、糸にして布にするところまで、村落内で行われていました。

ですから昔の人は、一枚の布でもそれは母たちが心をこめて作ってくれたとても貴重で大切なものと考えました。
だからこそ神様に、いの一番に捧げて感謝をする。
そういう風習が古い時代から定着していたのです。

201507076

◎全文は下記からどうぞ(・ω・)ノ
ねずさんのひとりごと 7月7日付け
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2695.html#more

btn_next

【ねずさんのひとりごと】インカ帝国の特徴は武器が出土しないこと。インカ滅亡は、「武器を持った粗暴な外国人」には、無力ということを、私たちに語りかけてくれます。

元スレ:http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1434401668/

1: 6564億円◆o8vqQW81IE 2015/06/16(火)05:54:28 ID:???

記事題名/インカと安全保障

インカ帝国は、いまは南アメリカのペルーのあたりにあった一大文明国です。
最盛期には80の民族と1600万人の人口をかかえていたといわれています。
巨大な石の建築物があり、カミソリの刃も通さないほど精巧に重ねられた石の加工技術、黄金の仮面、水晶のドクロ、土器や織物、謎の高原都市などなど、インカの遺跡は、ものすごく高度な統治システムと、進化した技術に彩られています。
ところが、それだけの巨大文明でありながら、いまでは、その歴史、伝統、文化の一切は失われてしまいました。
遺跡も、いまではただの「謎」になってしまっています。

安全保障をないがしろにしたら、数千年続いた文明であっても、こういうことになるのです。
国会で安全保障にケチをつけている議員さんたちは、日本をそんな国にしたいのでしょうか。
だとしたら、彼らは私達庶民の命をないがしろにするテロリストであり、国民の敵です。


201506161

201506162

◎全文は下記からどうぞ(・ω・)ノ

ねずさんのひとりごと 6月15日付け
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2671.html#more

btn_next

【ねずさんの ひとりごと】「互いに魂を汚さないようにした。」インパール作戦で敗走した日本軍が飢えで苦しみながら略奪を起こさなかった理由を解説

元スレ:http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1431698314/

1: 山梨◆lKceO1.r3A 2015/05/15(金)22:58:34 ID:R2z
全文は「ねずさんの ひとりごと」の「命が大事、魂が大事」で
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2636.html


no title


上にある写真は、ミャンマー西部にあるチン州のティディム道です。
ここは、かつて白骨街道と呼ばれた道のひとつで、ここを約6万人の若い日本人の兵隊さんたちが通り、うち4万名が飢えと怪我とマラリアによる高熱で命を落としました。
この模様の詳細については、『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人・第一巻』に詳しく触れさせていただきました。

写真を御覧頂いて、すぐにわかると思いますが、街道の周囲には畑であり田んぼです。
もちろん集落もあります。
けれど、そんなところを武器を携帯し、腹を空かせた日本人の青年たちが通りながら、盗みや強奪強姦などの事件をただの1件も起こしていないのです。
これは世界史でみたら、奇異なことというより、もはや奇跡に近いことです。


なぜなら世界中どこでも、敗残兵といえば「最も危険な掠奪集団」と相場が決まっているからです。
すでに軍の統制から切り離された敗残兵には、軍から支給される食料もありません。
彼らは武器を手にし、周囲の村を襲って掠奪するしか生き残る道がなかったわけです。
しかも追われる身です。いつ殺されるかわからない。
いわば「明日のない身」であり、自暴自棄になった彼らは、まさに欲望集団に堕ちたわけです。
ですから「敗残兵=掠奪集団」というのは、まさに世界の常識なのです。

ところが日本人は、6万人の青年達が敗残兵となって街道を落ち、そのうち4万人が飢えて死ぬという過酷な状況にありながらも、誰一人、コソ泥さえする者がいなかった。
これはものすごいことです。

なぜなのでしょうか。
どうして彼らは、泥棒さえもしなかったのでしょうか。

(中略)

>>2

btn_next

【ねずさんの ひとりごと】731部隊の人体実験・細菌戦の嘘が改めて明らかに

元スレ:http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1431696915/

1: 山梨◆lKceO1.r3A 2015/05/15(金)22:35:15 ID:R2z
全文は「ねずさんの ひとりごと」の「731部隊の人体実験・細菌戦の嘘が改めて明らかに」で


以下は、Facebookの石川様の投稿からのシェアです。
まず、本文をそのまま転載させていただきます。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1472058213052950&set=a.1383343321924440.1073741825.100007463560238&type=1&fref=nf&pnref=story

==========
米国立公文書館が731部隊(関東軍防疫給水部)に関する機密文書10万頁分を公開
《731部隊の人体実験・細菌戦の嘘が改めて明らかに》

今まで反日勢力に散々あげつらわれ日本の残虐性の一例として利用されてきた、悍ましい〈人体実験〉をしていたと言われる〈731部隊の作り話〉が、米公文書の公開で明らかになった。
こうして冤罪はひとつづつ晴らされて行く。

731部隊(関東軍防疫給水部)は細菌戦研究はしていたものの、細菌戦を行った証拠は全く見つからなかった。
米国立公文書館は、石井四郎中将を始めとする731部隊関係者の個別尋問記録や、石井中将が細菌戦研究の成果を1947年6月ごろ執筆し米軍に引き渡した事を裏付ける最高機密文書も明らかにした。

ナチス・ドイツと日本の「戦争犯罪」を調査する為、クリントン政権当時の1999年に編成された記録作業部会(IWG)は「人体実験」に留まらず「慰安婦問題」などの悪事を裏付ける文書も必死に探したが、それらを裏付ける証拠は何ひとつ見つからなかった。
(つまり1999年以降の調査で「性奴隷」が言いがかりである事はクリントン政権時には既に判明していたという事だ。併し、同盟国 米国は口を噤んでいた)

奉天(現・瀋陽)の収容施設で、連合軍の捕虜に細菌実験が行われなかったかを調べたり、日本からの風船爆弾が細菌戦に使われないかを調べたりしたが「当面は細菌戦を想定していない」と結論づけた文書も発見された。
つまり米国が持っていた731部隊に関する10万ページの機密文書には、731部隊が人体実験を行ったり細菌戦を行った証拠は全くなく、戦後に言われた事は全て根拠なき捏造であったと証明されたのだ。
===========

no title

>>2へ続く

btn_next

【ねずさんのひとりごと】着工から17年という長期間を経て、ようやくいまの国会議事堂が完成…、その理由 。~おまけ「朝鮮総督府の「路上脱糞禁止令」と「キムチ」の関係

元スレ:http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1430827295/

1: 6564億円◆o8vqQW81IE 2015/05/05(火)21:01:35 ID:???
二二六事件(昭和11(1936)年2月26日)が起きたとき、青年将校たちによって国会議事堂が占拠されたことは、皆様御存知のことと思います。
ところがこのときの国会議事堂は、建物はいまの国会議事堂ですけれども、まだ未完成の建物でした。
ですから当時は、国会議事堂ではなくて、「国会仮議事堂」と呼ばれていました。

いまの国会議事堂の建設が始まったのが大正9(1920)年1月30日のことです。
完成したのが、冒頭の二二六事件の後の昭和11(1936)年11月7日のことです。
なんと着工から16年11ヶ月という、ありえないほどの長期間を経て、ようやくいまの国会議事堂が完成しています。
国権の最高府である国会議事堂が、完成までにどうしてそのように長い年月がかかったのでしょうか。
また日本では、明治時代から国会が開催されていたはずですが、その国会は、いったいどこでやっていたのでしょうか。

歴史をたどってみますと、まずはじめに明治天皇から国会開設の詔(みことのり)が発せられたのが、明治14(1881)年10月のことです。
そして最初の議会(第一回帝国議会)は、明治23(1890)年11月29日に開催されました。
つまり、いまの国会議事堂ができあがるよりも46年も前から国会は開催されていたわけです。
その第一回の帝国議会は、いま経済産業省がある千代田区霞が関一丁目で行われました。
木造の「第一次仮議事堂」が建てられ、そこで開催されたのです。

201505062

(中略)

btn_next

【ねずさんのひとりごと】小名木氏、唐を詳細に記述した『入唐求法巡礼行記』を紹介 「息を吐くように嘘を言ってでも生き抜かなければならなくなることも理解できようかと思います」

元スレ:http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1425995035/

1: 山梨◆lKceO1.r3A 2015/03/10(火)22:43:55 ID:Ehn
全文は「ねずさんの ひとりごと」の「入唐求法巡礼行記」で
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2568.html


3行要約
・『入唐求法巡礼行記』はマルコポーロの『東方見聞録』、西遊記として知られる『大唐西域記』、と共に「東アジアの三大旅行記」として世界に広く知られている。
・『入唐求法巡礼行記』には9世紀の唐の酷い様子(>>3)が、実に克明に記録されている。
・著者が日本人にも関わらず、戦後ほとんど教えられない、理由はお察し。

201503111

>>2へ続く
(本文転載はレス2より)

btn_next

【ねずさんの ひとりごと】 日本で朝鮮式お辞儀「コンス」を騙して広めた方法を小名木氏が解説 「証拠がちゃんと揃っているのに、解説だけを歪めて書く。」 

元スレ:http://uni.open2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1425297013/

1: 山梨◆bT6c9WIwLg 2015/03/02(月)20:50:13 ID:Ebq
全文は「ねずさんの ひとりごと」の「朝鮮コンス」で
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2560.html


○スレ要約
朝鮮式お辞儀「コンス」が日本で拡散された方法を詳しく解説すると共に
これは反日左翼の一般的な手法だと、小名木善行氏が主張しました。
(手法はスレタイトルの通り。)
ソース記事では、日本のお辞儀についての詳しい解説が続きますが、そちらは省略させて頂きました。


========================================
○スレ目次
>>2   日本で広まるキーセンのお辞儀「コンス」
>>3-4 歪んだ解説の添付の例
>>5   汎用化して解説
========================================

no title

>>2へ続く
(転載は2より)

btn_next

【ねずさんのひとりごと】30年以上、うそ情報を流し続ける新聞社が堂々と国会内に取材に入れるということは異常な出来事です。~日本を世界最強国に!!

元スレ:http://awabi.open2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1423632862/

1: 6564億円◆o8vqQW81IE 2015/02/11(水)14:34:22 ID:???
◎先日「大東亜戦争から私達が学ぶことはなにか」というご質問をいただきました。
「我慢だけでは解決しないこと」とお答えしました。

大東亜戦争の開戦前、日本はたいへんな我慢をし続けたのです。
ありとあらゆる誹謗を受け、中傷され、通州で223名もの居留民を殺され、石油の日本への輸出をストップされ、それでも「戦争はしちゃいけない。戦争にだけはならないようにしよう」と我慢し続けました。

その結果何が起こったかといえば、外務官僚の怠慢と戦争への突入です。
昭和天皇の、絶対に戦争は避けたいというご意向があったのに、結果として、戦争を防ぐために日本が最大限の努力ができていたのかといえば、答えはNOです。
そして戦争は、こちらが仕掛けなくても、相手が自国民の命を犠牲にしてまで、あらゆる手を使って誘ってくるものであるということも、先の大戦から、わたしたち日本が学んだことであるはずです。
そうであれば、私達日本人は、絶対に戦争の惨禍を招かないために、絶対に攻められない、戦争に呼び込まれないために、できるすべての努力を傾け、それが可能な国づくりをしていかなければならないと思います。

201502115

◎全文は下記からどうぞ(・ω・)ノ
ねずさんのひとりこと 2月9日付け
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2537.html

btn_next
最新記事
記事検索
ブログランキング
アクセスランキング
  • ライブドアブログ